公共事業を巡る「国民の無知」の問題に対峙せよ

京都大学教授藤井聡

筆者の大学で土木コースに配属されてまだ一年目の学生に、「交通工学」についての第1回目の講義をしようとした時の話しである。その導入として日本の道路事情を概説する折りに、学生達のおおよその道路に対する認識を確認すべく、日本の道路サービスが先進諸国の中でどの程度の水準にあるのかを尋ねてみた。すると200人ほどの学生のうち、世界トップレベルと答えた学生が4分の1程度、先進諸国の平均より上と答えた学生が半分程度、平均並みと答えた学生が4分の1程度、平均以下と答えた学生が2、3名、そして、最低ランクと答えた学生はゼロであった。

筆者は、この結果を見て、愕然とした。

仮にも彼らは「土木コース」に配属された学生なのだから、土木については一般の方々よりも知っていても不思議ではない。にも関わらず、日本の道路のサービスレベルは先進諸国の中で平均以上で、ひょっとすると世界トップランクではと考えているのである。

もちろん実態は、1万台あたりの道路延長は先進国中最低ランクに位置し、高速道路のそれに至っては文字通り「最下位」、高速道路の平均車線数も先進国中「最下位」だ。ガソリンの燃費効率から割り出される自動車の平均速度も筆者の手元の資料では先進国中最下位だし、GDP1億ドルあたりの道路延長も同じく最下位だ。都市圏別の資料を見ても、我が国の首都東京の「踏切数」は世界の先進主要都市の中でも段違いに高く、平均速度も段違いに低く、そして環状道路の整備率は圧倒的に低い。

つまり、我が国の道路のサービス水準は、文字通り、先進国中最低ランクなのである。にも関わらず、これから土木を学ぼうとする本学学生200名の中で、それを知っている学生は、たった一人もいなかったのである。

これこそが、我が国の世論の状況なのだ。

おそらく彼らはこう思っているに違いない――戦後、我々のインフラの水準は低かった、しかし、高度成長期に我々は大いに豊かになり、必要なインフラを一通り整備してきた、だからこれからは、景観や自然に配慮することは必要なのかもしれないが、インフラ整備なんて、ほとんど要らない――。

「井の中の蛙、大海を知らず」とはまさに、こういう状況を言うのだ。

さらに恐ろしいことに、そんな勘違いをしているのが、土木技術者の卵たる土木コースの学生達だったのである。この点を踏まえれば、現在の日本の若手土木技術者の中にも、日本の道路の整備水準の低さをほとんど理解していない者が多数含まれていることは間違いない。だから道路事業に従事する若い土木技術者の中に、「道路なんて本当はもう要らないのに――」と何やら後ろめたく感じたり、やる気も湧かず仕事に誇りを持てない、という者がたくさんいることだろう。

つまり、道路インフラの水準についての「勘違い」は、建設現場の若手技術者の士気の低下に直結しているのである。

言うまでもなく、そんな「無知」は道路についてのみ見られる現象ではない。国民の多くは、ダムの利水や治水の効果についてほとんど知らないだろうし、空港や港湾の整備事業の経済効果も正確には分からないだろう。にも関わらず、その国民の「世論」が政局を動かし、政治家に「政治主導」を唱えさせている。だから、八ッ場ダムは中止され、道路や空港や港湾の整備事業費も削減され続けているのである。つまりはそんな公共事業の削減の根本的な原因は、「国民の無知」にあるのだ。

「無知」とは、かくも恐ろしいものなのだ。

土木技術者の本質が公共事業を通して地域や国に貢献せんとする者であるとするなら、現代の土木技術者は、こういう「国民の無知」と対峙せねばならないのだ。そうであるなら、まずは若い技術者、あるいは家族といった身近な人々の「無知」を解くことから始めねばならぬのではなかろうか。気の遠くなる作業ではあるが、公共事業を巡る成熟した国民的議論は、そんな努力の果てにしか訪れ得ないのである。